ヴォーカリスト上達に関する考察①

バンド人間学

こんにちは、くまちゃんです、
音楽の事を書くのは久しぶりですが、
実は最近、とある初心者ヴォーカリストの子の面倒を見ることになったのです。
初心者さんなので、

バンドをやって行くための考え方や心構えなども全然分からないということなので、
自分の中での「ヴォーカリスト」って何なのか?
何を考えるべき?何を意識すべき?
など、色々考えなおしたわけです。

その中で技術的な部分はともかく、
バンドの中でのヴォーカリストのあり方や、
気の持ちようなど、色々お話して行きたいと思います。

少々硬い話になりますが、
これからヴォーカリストになろうという方、
ヴォーカリストとしてもっと上を目指したい方、

是非最後まで読んで頂けると嬉しいです。

「歌」とは何か。

日常生活を送る上に置いて、音楽を切り離すのはとても難しい。
関わり方は様々だが、
現代社会において広い意味での「音楽」はもはや切り離せない存在になっている。
「歌」という素材はその音楽の中でも主役を張ることが多い。

それはなぜか?

音楽の中で「言葉」を乗せて奏でることができるのが、
唯一「歌」だけ
であり、その言葉を理解することによって、
楽曲の世界観をかなり統一することができる。

歌の入らない音楽の中で、曲の世界観を正確に聞き手に伝えることは難しい。
暗いか明るいか、リズム、テンポの具合などから、
聞き手が勝手に想像するより他にない。
しいて言うのであれば、楽曲の題名によって想像ができる。

でもそれは、聞き手が受ける楽曲のイメージを補完するための物であり、
そこには具体性は何もない。
シューベルトの「魔王」という曲においても、
「魔王」と銘打ってるからこそ聞き手が初めて「魔王」を想像できる。
でもどんな魔王であるかは千差万別。
その題名が、クラシックによくある、「~~、ト長調」みたいな感じであったのなら、どうだろう。
100人いれば、100通りのイメージが湧く

それはそれで、そういう音楽の楽しみ方の一つではあるのだけど。

自分の中に浮かんでいるイメージを出来るだけ明確に的確に聞き手に伝えたいというエゴは、
作曲者なら誰でも持っている感情なのだけど、
その助けとして「題名」を利用するしかなかった。
しかし、
そういう音楽の歴史の中で、オペラというものが現れる。

これまで題名でしかイメージを伝えられなかったものが、
人間の言葉によってより具体性を帯びることになり、
「物語」に発展していった。

今まで楽器が入れ替わり立ち代わり主旋律を奏でてきたのに代わり、
人間の声という楽器が「言葉という最大の武器」をもって音楽の中に溶け込むことによって、
聞き手へ作曲者の意図をより具体的に、明確に、正確に伝えられるようになった。

それとは別のアプローチでの歌の意義もある。
これまではメロディに意図を持たせるために言葉を乗せたという話だったが、
言葉を彩るために、メロディに乗せるというアプローチもある。

自分の中にある、より「強い感情」を相手にきちんと伝えるために、
より大きな声で感情的に伝えるようになる。
その方が「特別」になるからだ。

もちろん、表情や声色に左右はされるが、
話しかけるように「あなたが好き」というより、
息を目いっぱい吸って、大きな声で「あなたが好きだー!」という方が、
より万人に、明確に自分の感情の大きさが伝わる事の方が多い。

実際の感情の大きさは言い方には比例しないが、
より大きな声で、より感情的に伝えることで「特別な感情」だと言うことが伝わる。

ミュージカルはこちらのアプローチに近い。
ミュージカルはセリフと歌の境界があいまいなものが多い。
それは、セリフを言う感情が高ぶって「歌になってしまう」ということの表現だから。

オペラとミュージカル、時代が違うだけで似てる様に思える。
より厳格なのがオペラ、カジュアルなのがミュージカル。
そう見えることもありますが、
根本的なアプローチが違うものだと僕は思っています。

もっとひも解けば伝達の手段としての話とか色々あるのだけど、
本題から逸れすぎるので、ここでは割愛。

話が遠まわしになってしまったけど、
二つのアプローチに共通することがある。
それは

「意図明確に伝えたい」

ということ。
そのために、
音楽の要素「メロディ、リズム、ハーモニー」を駆使して楽曲が出来上がってるということ。
そして、その大任を任されるのが「ヴォーカリスト」なんです。

そう考えると、
「ヴォーカリストが何を身に着け、学ぶべきなのか?」
ということが明確に見えてくると思います。

「ヴォーカリスト」と「アーティスト」

先ほど書いたように、ヴォーカリストには「楽曲を明確に伝える」
という大任を任されている、というお話をしました。
しかし、
カラオケを含めて多くの歌を歌ってる人がそんな事を意識してないと思います。

とにかく正確に音を取って、演奏のリズムに遅れなければ「上手」とされます。

それはそれで間違いではないのですが、
決められたものをなぞっているだけでは、
「感心」はされても「感動」はされません。

最近よくTVでカラオケの採点を使った番組を見ますが、
僕個人的にはああいうのに全く興味がありません。
どれだけ歌が「正確」でも「無味無臭」でしかないんです。

無味無臭な物は一度は食べても二度は食べたくない。
すぐに飽きてしまう。

じゃぁボーカロイドはどうなの?って話もあります。
ボーカロイドだっていい曲あるよ!って言う人がいます。

でも良く考えてみると、ボーカロイドのまま一般に売れている曲はそんなににないんです。
米津玄師やYOASOBIのAYASEもボーカロイド出身のコンポーザーだけど、
結局自分で歌ったり、ikuraちゃんというボーカリストの歌わせてます。

理論だけで言うのであれば、
歌詞を乗せられる機械音にはまだ限界があって、
人間の肉声の方がより人に感動を与えられると、肌で感じている事の証明ですね。
Perfumeのように機械的に歌わせても(正確にはピッチエフェクト)
やはり人間の肉声という意味では伝わるものが多いんです。

最近の大きな意味での「歌手」は、
音程、リズムの正確性だけのヴォーカリストが多いんですね。
人の印象に強烈に訴えかける歌を歌える人が少ない

ただ歌を歌える「ヴォーカリスト」はたくさんいます。

だからこそ、「上手いだけ」では何度も聞いてはもらえません。
昔は上手ければ聞いてもらえましたが。
カラオケが普及した現代、誰でも歌が練習できるので、
歌のレベルは上がっていますが、表現のレベルは下がっています。
それが生演奏ではなく、機械音で歌うことの弊害ですが、
その辺は別の機会にお話します。

それでは、
自分の歌を飽きずに何度も聞いてもらうためには、何が必要か。

簡単に言うと「個性」です。

もう少し突っ込んでいった言い方の一つに、
「中毒性のある歌いまわし」
というものがあります。

例えば、椎名林檎の巻き舌や吐き捨てるような歌い方、
ドリカムの吉田美和の半音の半分の半分の半分までコントロールできる音程、
中島美嘉の吐息の多く混じった低音と泣いているような歌いまわし。

どれも耳に残るものでもあるけど、
一歩間違えると不快になりかねないギリギリをついているとも言えます。
言い方を変えると、「好き嫌いがはっきりするタイプ」
なんですね。
好きな人はバチっとハマるけど、嫌いな人は受け付けない、みたいな。
その分深く好きになってもらえるので、
どんな曲を歌っても必ず聞いてもらえる。

いい個性を身に着けるということは、
「聞き手の利益」を作ることにもなるんです。

正確性って言う、練習すれば誰でも身につけられる調味料なら、
誰の歌を聞いてもいいけど、

「ここでしか聞けない」という強烈な個性のあるレアな調味料を持ってさえいれば、
ハマればそのおいしい調味料を味わいに、どんなところからでも聞きに来てくれる。
そこでしか食べられない本当においしい料理があれば、
どこからでもお客さんは気てくれるのと一緒です。

誰が作っても同じになるようなチェーン店の料理なら、わざわざ遠くまではいかないですよね。
だからチェーン店は店舗数をとにかく増やすんですね。
いわゆるレア感を出せないから。

それはプロだけが持っているものではなくて、アマチュアだって十分に発揮できます。

端的ではありますが、
僕の中のカテゴリー的な部分では、
無難な歌い方で誰にも「上手」と言われるのが「ヴォーカリスト」

その「ヴォーカリスト」の中のほんの一握りの人が、
上手さだけではない何かをもって、自分を表現している
「あなたを聴きたい」と思わせる、
それが「アーティスト」なんだと思っています。


今日はここまで(^^;

今日はここまでにします。

楽器演奏のなかにおける「歌の役割、意義」「歌うために必要な事」がお分かり頂けたと思います。

そもそも歌とは、楽器の代わりであり、
本来楽器で奏でるべき旋律に言葉を乗せることで、
より深く楽曲を理解させたい、
そういうことなんですね。
だからこそ、その曲の意義を伝える大任である、

というお話でした。

二つ目は、ヴォーカリストが目指すべき事のお話でした。
歌が上手い」って言うのは、
どういうことなのか?
って言うお話です。

ただ音程とリズムが合ってれば、上手いって言われますが、
世に出ているアーティストには、上手いだけのそんな人は一人もいないんです。
ちゃんと自分らしさ、個性を持っています。
一般のリスナーはその個性を聞くために、
楽曲にお金を払ってくれるんですね。

音程やリズムは練習すれば誰でも身につきます。
発声もしかりです。
それはいつ、どの段階で始めても大丈夫ですが、

自分だけの個性を磨くことを忘れると、
後では取り返しがつかなくなります。

そんな人を沢山見てきました、

ってお話です。

続きははまた近々。
次回は自分のイメージの具現化についてお話します!
お楽しみに。

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